大判例

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大阪高等裁判所 昭和24年(を)4122号 判決

被告人

実田治海

外三名

主文

本件各控訴を棄却する。

当審の控訴費用は被告人実田治海同山田幸雄の連帯負担とする。

理由

検事の控訴趣意第一点について。

論旨は被告人等は共同して日本国民の経験しない異状な座談会に船長の出席を強要し、約二千名の者がこれを囲繞して質問を為すことはそれ自体すでに相手方に威圧感、圧迫感等の被害感情を懐かしめるに足るものであるから、これらの行為は明らかに脅迫手段であるに拘らず、叱咜怒号の事実が認められないからとて無罪の言渡をした原判決は失当であると主張するもののようである。しかし、脅迫罪の脅迫とは相手方をして恐怖せしめる意志を以て相手方とは其の親族の生命、身体、自由、名誉、財産に対する害悪を加うべきことを相手方に通告することを言い、相手方及びその親族以外の第三者の右列記の各法益に対する害悪又は相手方及びその親族の右列記以外の法益に対する害悪の通知は脅迫罪を構成しないし、右列記の法益に対し害悪を加うべきことを通告しそれが普通人の心理において畏怖心を生ぜしめるに足る以上相手方が恐怖心を生じなくも脅迫罪は成立するのである。それ故に本件において相手方に対したとえ所論のような被害感情を生ぜしめたとしても、或は又叱咜怒号したとしても、被告人等の言動は原判決説示のように相手方に対し多数復員者の合同力による威圧を示したに止り右列記の法益に対する害意の告知を伴うものと認められない上その言動矯激に失する嫌あればとて脅迫罪は成立しないのである。論旨に理由がない。

同第三点について。

しかし座談会における所論決議は被告人板垣順治が右座談会から退席したその不在中に復員者の一員からの提案に基づき行われているのである。記録を精査しても同被告人が事前に右決議を為すべきことを諒解謀議したことも、或は又座談会の席上現場の状況推移からかかる決議に迄進展すべきことを予想していたとか当然予想し得るところであつたとか言うこともこれを認めるに足る資料は見当らない。それゆえに所論謀議共同正犯の理論によつても同被告人に罪責を負わしめることはできない。論旨は理由がない。

弁護人小林の論旨について、

しかし原判決挙示の証拠を綜合すれば復員者の殆んど全員出席の座談会の席上今川船医の面前において同船医が従来職務に属しない検食を行わなかつた事実を捕え「同船医の職務怠漫であると非難し同船医及びその補助者等の職務とする復員者に対する診断を拒絶し同船医等を舞鶴港において下船させその後復員船に乗務させないことを要求する旨」の決議を為し、船長の承認を得て右決議を実行するにつきその交渉方を梯団幹部に一任させた事実は十分肯認される。かような多数の復員者が相結束して船医の職務に属しない事実を捕え、職務怠漫であるとして、社会通念に照し正当と認むべき理由がないのに協同の威力を以て船医に対しその診断を拒絶し将来復員船に乗務させないことを要求する旨その面前において決議するのは船医の人格を蔑視し船医として不適格者を以て遇せんとするものであつて人の名誉に対する害悪の通告たる性質を有し被通告者を畏怖せしむるに足るから脅迫罪を構成し、決議実行の有無は犯罪の成否に影響はない。又たとえその通告する害悪が刑法上の名誉毀損罪の構成要件を欠くため同罪の成立を見なくとも其の行為の脅迫罪を構成する妨げとはならない。又原判決は船長に対しては刑法第二百二十二条列記の法益に対する害悪の告知が認められないから無罪としたのであつて、期待不可能性の理論を引用して原判決の理由のくいちがいを主張する所論は独断にすぎない。論旨は理由がない。

(検察官の控訴趣意)

一、本件公訴事実は左記の通りである。

被告人等は何れも昭和二十四年七月二十三日ソビエツト領ナホトカより復員船信洋丸に乗船した復員者で被告人宝田治海、同板垣順治は何れも同船に乗船した復員者の副梯団長、同山田久吉は第百十五中隊長、同山田幸雄は第百十三中隊員であつたが同日昼食として復員者に支給された乾パンに一部虫喰ひのものがあり且同日午後二回に亘つて船員の不注意により主として第百十五中隊員及第百六中隊員所在の第三船艙内に僅少の漏水事故があつた為復員者一同の憤慨するところとなり同夜は主として被告人宝田、板垣等が船長内川徹男と接衝して同船長が翌七月二十四日朝船内拡声器を通じて陳謝の意を表する処置を執ることとして一応落着したが翌七月二十四日午前九時三十分頃に至り偶々同日は船内生活の日課行事として復員官を中心として就職問題等を論議する文化集会開催の予定のあつたのを機会に被告人等が主導しその集会を利用し右内川船長、船医今川俊雄を其の会に出席せしめ全員に対し謝罪の上質疑を為し之を難詰しようと企て同日午前十時頃から同船内第二船艙に復員者の略全員約二千名が集合し右内川船長及今川船医を呼び来り一同で両名を囲繞し被告人山田幸雄が座長となつて示威合唱(デモコーラス)を行つた。次で被告人宝田の事件経過報告があつて所謂会議に入り内川船長に謝罪せしめた上主として被告人等が発言して内川船長、今川船医に対し氏名、住所、出生地等を尋問した後漏水或は乾パン事故に関し之を不誠意無責任なりと追究難詰し或は叱咜怒号して約一時間に亘り右両名に多衆の威力と異常な気勢を示して畏怖せしめ以て脅迫行為をしたものである。

二、右事実に対し原審では被告人山田幸雄同宝田治海及山田久吉が信洋丸船医今川俊雄に対し多衆の威力を示し同人の名誉を侵害することを以て脅迫した点は認めたが同人等が信洋丸船長内川徹男に対し多衆の威力を示し同人の自由を侵害することを以て脅迫した点については無罪を言渡し且被告人板垣順治に対しては全部無罪を言渡した。而して無罪の理由は

(一)  被告人等四名が船長内川徹男に対し多衆の威力を示し同人の自由を侵害することを以て脅迫した点につき同船長が座談会に於て威圧感を受け又被害感情は抱いたことは認めるがその圧迫感又は被害感情は約二千名に及ぶ多数の復員者が一船艙に集合して船長に対し質問を行つた避け難い結果であり被告人等に於て同船長に対し威圧を与える目的で追究難詰或は叱咜怒号した事実はないこと

(二)  被告人板垣順治が今川船医に対し多衆の威力を示し同人の自由及名誉を侵害することを以て脅迫した点について同被告人は同船医に対する判示決議の行はれた際偶々座談会を中座し居たる事実があり右決議に加はつていないと認められることである。

三、検察官は右の判決理由は何れも失当のものであると考へるその理由は

(一)  理由第一点

原判決は「被告人宝田治海、同山田幸雄、同山田久吉、同板垣順治が信洋丸船長内川徹男に対し多数の威力を示し同人の自由を侵害することを以て脅迫した点は被告人等が同船長に対し威圧を与える目的で追及難詰或は叱咜怒号した事実はなく二千名の者が質問を行つた避け難い結果だといつているが、そもそも内川船長が本件の所謂座談会への出席そのものが形式的には同船長が出席して謝罪することを承諾したことになつているが、実際は船長の原審公判廷に於ける供述によつて明瞭に認められる如く決して「任意」なものでなく、被告人等の強制による「不任意」なものなのである。加之本件が座談会と称することはソ連に於てはいざ知らず少くとも我日本国内に於てはかゝる形式による座談会即ち非難若くは批判せらるべき者を約二千名の者が囲繞し謝罪の意を表せしめたる後仮令座長の統制下に質問を為すものであつても未だ日本国民の経験せざるところであり船長に於ては全く予期せざるところであり経験せざりしことは其公判廷の供述により明瞭である。多数人が任意に集合し一定論題を中心に自由討議を実施或は各個人の自由意思に基き相互に意見を交換するが如きものとは其形態、方法に於て凡そ格段の差異があり同一に論ずべき比ではない。斯る座談会に出席せしめることは被告人等の如きはソ連抑留中の経験に基き通常の事例なりとするも事情を知らざる船長、船医にとつては当然威迫を感ずることは梯団長森上寛一の原審公判廷の供述に徴するも肯認し得ることであつて被告人等がよくこの事実を認識していたものと認めることが諸般の状況証拠上事理に合する判断であり、この事実を認識して船長を出席せしめた事実により威迫する意思を認定するに充分である。原判決は被告人等に叱咜怒号の事実なきが故に脅迫の事実なしとしているが本件脅迫行為の重要な要素は叱咜怒号にあると謂ふよりもむしろかゝる形式の座談会に出席せしめ約二千名の者が之を囲繞して質問を為すこと其自体にありそのことが即ち脅迫手段なのである。さればこそ原判決に於てもこの座談会に出席した船長が威迫感圧迫感等の被害感情を懐いたことを肯認している。然るに原判決はこの被害感情は被告人等の行為と関係なき約二千名の行動による「避け難い結果」と称するがこの二千名が凡て共同して被害者を威迫した共同犯行者なのであつて被告人四名も約二千名中の四名であり共同犯行者であることに異議はない筈である。被告人四名が他の者の情状に於て差異なしと認定し得るや否やは別論として被告人四名の行動とは別個の二千人の行動の結果なりとすることは歪曲せられた論理だと考へる。

敍上の事実から被告人等四名は船長が威迫を感ずるであろうことを認識し乍ら同船長を之に出席せしめその結果船長をして威迫感を感ぜしめたのであつて決して避け難い結果ではない而してこの行為は被告人等の共同行為によつて為されたものである以上何れも責任は免れないと信ずる。

原判決には右の如き事実誤認の違法がある。

(二)  第二点

検察官の今川船医に対する起訴は同船医に対する被告人等の「自由」に対する侵害と「名誉」に対する侵害との二個の訴因に基いて起訴しているのである。

そもそも訴因の観念は新刑事訴訟法に於て甫めて認められたものであつて未だ定説はないが、米法上のCountに相当する概念であつて同法上に於ては訴訟が二個以上の訴の原因を包含している場合は勿論、単一の訴の原因に於ても二以上の主張(Statement)をしている場合はその各個の主張は夫々Countでありその各個のCo-untは各個の権利を主張し得るものとされている。我刑事訴訟法上の解釈としても斯く解すべきものと信ずる。而して本件今川船医に対する訴因は「自由」と「名誉」に対する夫々の侵害即ちその二個の訴因を以て起訴していることは原審公判廷に於て検事が「名誉に対する侵害を以てする脅迫」の訴因を追加し明確にしたところであり裁判所自身も前記判決理由中被告人板垣順治の無罪理由説明中に「被告人板垣順治が今川船医に対し多数の圧力を示し同人の自由及名誉を侵害することを以て脅迫した云々」と云うている如く、裁判所はその二個の訴因に拘束せられその二個の訴因につき審理判断すべき権義を有するに拘らずその名誉に対する侵害を訴因とする点についてのみ被告人板垣を除く他の三被告人を有罪と認定し「自由に対する侵害」を訴因とする点につき何等判断を為さざるは明かに判断を遺脱したる違法がある。

(三)  第三点

原判決によれば被告人板垣は偶々他被告人三名に対して本件有罪の理由となりたる今川船医に対する決議の際一時中座し居たる一事を以て刑事上の責任を問うことが出来ないとして無罪を言渡しているがそもそも被告人板垣は本件座談会には当初より出席し他の被告人三名と共同して即ち相互に意思を連絡して内川船長並に今川船医を其の座談会に出席せしめ爾後に於ても引続き同席し行動を共にしたるものであつて明かに共謀による実行行為に加功し居たるものである。而して今川船医に対するかゝる決議は当時現場の状況推移から斯る決議に迄進展すべきことは被告人板垣の当然予想し居たるものと認めるを相当とする。仮に然らずとするも当然予想し得るところであつたのみならず本件決議は他の被告人等により被告人板垣の共謀意思が実現せられたるものにすぎず被告人板垣の意外とする事実ではない。単に決議の際不在したりとの理由によつてその責任を不問に附すべきでないことは大審院以来最高裁判所に於ても一貫して認めている所謂共謀による共同正犯の理論によりても明白である。

この点に於ても原判決は判断を誤つた違法がある。

敍上の理由により原判決は明かに失当である。因て原判決を破棄し有罪の判決が為さるべきものと信ずる。

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